有本空玄
昭和38年9月26日生
陶歴:
昭和38年 広島県広島市に生まれる
平成4年 独学で志野を志す
平成7年 広島市二ケ城山麓に工房と志野仕様の窯を築く
平成9年 田部美術館「茶の湯の造形展」入選(志野茶盌)
(以後、平成19年 あきしの茶盌、平成22年 志野茶盌、平成28年 志野茶盌)
平成10年 日本伝統工芸中国支部展 入選(志野陶筥)
(以後、平成11年志野茶盌、平成13年安芸志野茶盌、平成15年安芸志野茶盌、平成16年織部大板皿、平成18年志野花器、平成19年あきしの茶盌、平成25年志野大皿、平成26年鉄藁壺、平成27年黄瀬戸花器)
平成12年 天満屋広島八丁堀店 初個展(以後、同所で数回個展を行う)
平成12年 二ケ城窯として独立する
以後、日本各地で年に数回個展を中心に作品を発表する
平成15年 氣比神宮より「空玄」の名をいただく
平成22年 現代茶陶展Toki 織部奨励賞 受賞(志野茶盌)
平成23年 シェラトンホテル広島より作品展示依頼を受ける
柿渋(楽)を発表する
平成24年 燈会で宮島、厳島神社に合作「燈会玉取祭宝珠」を奉納する
平成29年 大阪タカシマヤ 二人展(有本空玄、金城一国斎)
日本伝統工芸中国支部60周年記念展 出品(志野茶盌)
銀座黒田陶苑 個展
燈会展(広島城 二の丸)
矢部慎太郎南蛮茶会展(銀座三越)
有本空玄カップCupかっぷ展(ギャラリー帝)
作品収蔵先
氣比神宮(福井) 酬恩庵一休寺(京都)
薬師寺(奈良) 手向山八幡宮(奈良)など
日本の国宝級地位に値する焼き物―志野焼き
志野焼は16世紀の安土桃山時代に美濃国で焼かれた焼き物で、日本人が製作した最も早い白色の陶器です。名称の由来には諸説があり、室町時代の茶人である志野宗信が愛用されるものだといわれています。
当時中国からの渡来品白磁や染付けのようなものを作るために、大量に長石釉を使い白色の陶器を制作していました。しかし、時間が経つにつれ、陶工の創意と開発により日本特有の陶器が生まれました。
志野焼の生地は乳白色で、半透明の分厚い長石釉を使用しており、表面の肌には柚子皮のような小穴状になって、釉薬のふちが絶美な火の色に変化する等の特色があります。さらに、これまで円形の茶碗が常だったものに歪みを作り変形させたことも非常に新しい製法です。志野焼は独特な美しさで昔から日本人に愛されています。
志野焼の種類が多く、無地志野や、赤志野、鼠志野などがあります。
無地志野は白生地が多く、絵の模様が少ない物です。そのほか、下地に鬼坂と呼ばれる鉄化粧がされていて、掻き落とされた箇所が白く残り、鉄の成分が赤褐色、あるいは鼠色に焼き上がります。焼き上がった物の色によって赤志野か鼠志野かと呼ばれます。
黄瀬戸
美濃焼きに、黄瀬戸、瀬戸黒と呼ばれる物があります。
美濃焼は、岐阜県土岐市、多治見市、瑞浪市、可児市を中心とした産地で造られる陶磁器の総称です。
1978年に、通商産業省(現経済産業省)によって伝統的工芸品に認定されました。
黄瀬戸は室町時代から作り始めた朽葉色の陶器です。日本独自の和物の陶器の始まりとして、焼き物史上重大な意味を持ちます。草花などの模様が彫られ、鉄の顔料で焦げ茶色に彩られています。珍重されている物は桃山期の美濃産でしょう。肉厚で透明な釉色のぐいのみ手、薄造りで不透明なあやめ手、江戸期に作られた厚手で光沢の強い菊皿手等があります。