茶の湯を極める ― 大名茶人の誕生
松平不昧は、松江藩松平家第七代藩主で治郷(はるさと)といい17歳で藩主となる。藩財政を立て直した名君として知られ、また茶の湯を好み不昧と号し大名茶人の一人に挙げられる。
不昧は石州流茶道を学び、江戸後期の遊芸化した茶道に対し利休の茶に帰ることを唱え、生涯にわたって禅学を修め茶禅一味の茶の湯を極めた。名物茶器を記録した『古今名物類聚(ここんめいぶつるいじゅう)』の出版、散逸を心配し「天下の名物にして一人一家一国の宝にあらずと知るべし」という信念による茶道具の蒐集-『雲州蔵帳(うんしゅうくらちょう)』は高い評価を得ている。また自らの美意識により茶道具や茶室、お菓子などお好みの数々を作り独自の茶風を示した。
晩年、不昧は品川大崎の下屋敷に茶室11棟を備えた茶苑を作り茶の湯に興じ、「茶の湯は稲葉に置ける朝露のごとく、枯れ野に咲けるなでしこのようにありたく候」[茶楚]と、到達した境地を述べている。
「不昧画像」
江戸時代・19世紀 月照寺
「古今名物類聚」松平不昧 編
江戸時代・18世紀 島根大学附属図書館作品画像
「円相の偈」松平不昧 筆
江戸時代・19世紀 天真寺
(展示期間:4月21日~5月20日)