●L405『海野勝珉作 四分一銀香合(共箱』 D:5.5cm/G:121g
・村田氏
勝珉作に間違いないものだ。
※海野勝珉
竹次郎、弥五郎という。
伝右衛門の子で天保十五年(一八 四四)五月に常陸国茨城郡下市で生れる。
伯父の海野美盛と萩谷勝平に九歳より師事する。
絵画を安 達梅渓に、書を武庄次郎に学ぶ。
明治四年(一八七一)に実兄をたよって江戸に出て駒込千駄木町に住む。
この頃から基平を名乗っていたが、宗珉にも勝るべき工人になろうと志し、勝珉と改める。
明治二十三年(一八九〇)に東京美術学校雇員となって加納夏雄と師弟の間柄となる。
明治二十七年(一八九四)十一月に教授に 、明治二十九(一八九六)六月に帝室技芸員となる。
晩年は芳洲と号し、正六位に叙される。
明治戊寅之暮秋於墨堤畔芳洲海野勝珉、 明治三十七年季夏帝室技芸員行年 六十一正六位海野勝珉(花押)、芳洲迂士梅野勝珉(花押)、貞月庵海野勝珉(花押)、藻梲軒海野基平(花押)と 銘する。
優美な作風で人物や鮎図の鐔と小柄を彫り、金具類、置物、花瓶などを製作する。
大正四年(一九一五)十月六日に七十三歳 で没。
豊島区の染井墓地甲種イ六号一側ニ十五ー三十地区に葬る。
実子に珉乗と秀珉がいて家業を継ぐ。
優エ。
東京市本所区番場町住。
<号>芳洲・藻梲軒・貞月軒・ 東華斎・旭登